「輪中」に行ってみた(レポート)

輪中って知ってます?

輪中(わじゅう)とは、「集落を水害から守るために周囲を囲んだ堤防。また、堤防で囲まれた集落」「川の水位より地面の高さが低く、むかしから水害への対策がとられてきた集落」のことである。(wiki参考)

▲高田輪中(たかたわじゅう)大分県所蔵デジタルアーカイブより

 

輪中では、水害に備えて石垣で家を高くし、軒下には浸水した時のための小舟を吊るし、水浸しになって孤立してもしばらくはしのげるように食料を貯蔵する蔵が作られている……

▲高田常行地区にある水屋:この石垣の一番上まで水位がきた災害が昭和の初めにあったそうです。

 

水位より地面のほうが低く、川の氾濫に何度もあっていながら「なぜそこに住む?」と疑問がわく。
でも、よく考えたら世界四大文明は、川から発展したと教科書で習った。
きっとそこには、理由があるのだろう!

さて、輪中といえば、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の合流地点が有名だ。
ここ大分にも、なんと!輪中があるのです!
なぜ、人はそこへ居を構えたのか?
ヒントを探しに高田輪中(たかたわじゅう)へ足を運んでみました。

 

やってきたのは、大分市鶴崎駅から車で10分。高田常行地区。
ここは、大野川・乙津川の中州になります。(地図は高田常行公園近辺)

点在する民家を見てみると、石垣で高い場所に家屋が建てられている。
現在は、堤防などの治水が進み、水害の頻度が低くなったため、石垣のような水害対策をしなくても大丈夫だとは思いますがここには、石垣が数多く残っています。

「これが輪中か~」(…といっても、見ただけではよくわからない)

 

歩いてみた。
たしかに、石垣で地盤よりも高めに家がある。
ゴミひとつない、きれいな街並み。意識が高いのがよくわかります。

▲大分鶴崎が生んだ偉人・毛利空桑さんの生家がすぐそこ!

この丸っこい石は、川の上流から流れてきた石を拾ってきて、石垣を作り水難に備えたらしい。

 

▲立派な構えの首藤家本家。ここは現在「百亀荘」としてオープンスペースとなっています(要連絡)

実はこの地区、時は約400年前はかの加藤清正公のいる肥後藩の飛び地だった地区であったため、縦に切り石を入れた造りは、「熊本城」の門構えと同じつくりなのだそう!す、すごい!

歴史好きにはたまりません。一気にテンションはあがります。

▲見事なロケーション。ここの角で異性とぶつかって、時をかける少女ごっこをしてみたい(笑)

 

大分の輪中はほとんど観光地化されておらず、今残っている民家でその趣を確認ができます。
本当に見事です。

▲こんな遊びも優雅にみえる。

 

▲ここのお家は、水が来た時に舟で出られる傾斜が残っています。軒下には、舟の収納もあるよう

 

写真家の藤田洋三さん、事務局の加藤千明さんと話していく中で、この川と共に生きてきた先人たちのことが少しずつ分かってきました。

▲高田小学校でも、「輪中」の歴史を授業をしてきました。

 

川は何度も氾濫し、肥えた土を運ぶ。人々はそれを利用し、農作物を作る。知恵のあるものは、砂からとれる砂鉄をふるって取る。かたまりとなった鉄は、鎌や鍬といった道具となる。やがて、技術をもった職人がたくさん生まれ、それを売る商売人が生まれる。
腕のいい職人たちは、意匠をこらし、藍染めや豊後刀など、装飾をまとったものを作っていった。
川は川道となり、港から物資は運ばれ、海運も発達していきます。

実際、ここにはその歴史が残っています。
技術は職人を育て、商売は経済を潤します。

▲少し前まで使われていた鍛冶屋さん
▲つい最近まで注文を請けていたかのようなメモ書きも!
▲道具もそのまま残ってる!遺産!

 

とはいえども、ここは中州。
水害との戦いで、命を守ることも、本当に苦労されたと思います。

▲この屋根は、大工さんの知恵でひっくりかえしたら舟になる作り。水がきたら、屋根をひっくりかえし逃げられる。

 

でも、加藤清正公がこの地を飛び地としておさめたかった理由もよくわかります。

とうことで、ここは「世間」の「遺産」であり、大分の歴史でもあるのです。
災害日本がむかしから耐えて、乗り越えてきた歴史。

さぁ、少しでも知りたくありません?

2018年9月15日(土)に開催する「日本世間遺産学会inたかた」はそんなお話が聞けます。

歴史好きはもちろん、建築・建設の専門の方、民族学、地域ネタ好き、災害に携わる方などなど、いろんな方が聞いても「ほー」と唸るお話が聞けると思います!

(写真提供:チーム世間遺産のみなさん)special thanks!!