海べのたより~2024年12月-2025年1月号~

日本世間遺産学会in臼杵開催

11月16日(土)、日本世間遺産学会in臼杵を開催しました。

県内外から、約20名の参加者が集まり、臼杵市のガイドである古谷美和さんの案内で観光交流プラザから臼杵城、稲葉家下屋敷、二王座歴史の道、八町大路などを巡りつつ、思い思いに写真を撮影しました。昼食は観光交流プラザで、USAMI fine food and cuisineのお弁当を食べ、参加者の皆さんが撮影した写真を見ながら感想会を行い、優れた写真を撮影された方には金・銀・銅賞が贈られました。

今回巡ったエリアは、歴史的な建物が多く、瓦の美しさが際立っていた印象でした。

来年度は津久見市で開催予定です。

日本風景街道大学宮崎本校参加

1月10日(金)~12日(日)にかけて、宮崎市において日本風景街道大学宮崎本校が開催されましたので参加しました。

10日と11日は座学で、宮崎大学木の花キャンパスにある創立330記念交流会館コンベンションホールにて、萌える天北オロロンルートや国土交通省からの話題提供、日本風景街道コミュニティ代表理事であり筑波大学名誉教授でもある石田東生先生からの講義もありました。

全体的に、道はその地域で生活する上で不可欠であり、その地域でいかに生きていくのか、事例と制度の面の話だったかなと思います。
また石田先生からはシーニックバイウェイ20周年のため、改めて活動の目的を振り返る時期に来ているという話がありました。

学びとしては、改めて日本風景街道の目的が高速道路整備の中で、これまで街道・経路として使われていた道が使われなくなる、通行量が減るということから、そこに新たな価値を見出して地域の荒廃を防ぐことにあると認識しました。その上で、バイウェイとなった既存の道・地域については、それまでの経由地としてではなく、目的地にならなければならないこと、また風景街道協議会としてはよりハイウェイから外れたバイウェイにある地域を重点的に取り上げることが重要であると認識しました。今後の取組に反映していきたいと思います。

3日目の12日は2グループに分かれてのエクスカーションでした。私はサイクリンググループに参加し、宮崎駅集合ののち、バスで一旦青島駅まで行き、そこから自転車に乗り換えて堀切峠を目指しました。

バスからは畑に大根を干している様子が見られ(大根やぐらと呼ばれるそうです)、これも世間遺産だなと感じました。

堀切峠までが上りで、あとはほぼ下りでした。景色はとてもよく、これぞ風景街道だなと感じました。

道の駅フェニックスに立ち寄り、たまたま居合わせた駅長さんから、昨年の地震や豪雨での被害についてお話を聞きました。また、道の駅の情報発信施設は、道の駅フェニックスの2,3階にあったそうですが、施設の老朽化で雨漏りがするため閉鎖となっていました。元の管理者から施設の譲渡があったそうですが、市や県に譲渡された後修繕費をなかなか工面できていない現状があるようでした。

ルート上には所々サイクルラックが設置されていました。写真のものは野島神社のものですが、ラックに空気入れなどが入ったBOXが括り付けられており、これであれば誰かが常駐する必要もなく便利だなと感じました。

その先のJR小内海駅のところで、災害復旧の説明を宮﨑河川国道事務所から受けました。令和3年9月の豪雨による土砂崩れにより、JR日南線と国道220号が寸断され、ちょうど日南市と宮崎市の境であったため、登校などかなり迂回することになったそうです。夜間の作業も行い、発災後35日で仮復旧・通行可能となったとのことで、国土交通省や建設業者の皆さんには頭の下がる思いでした。

また、その先の国所有の土地(いるか岬北側駐車場)に風景街道(日南海岸きらめきライン)が道路協力団体として設置している自動販売機があったので立ち寄りました。この自販機の収益から、その先にあるいるか岬の方まで、海岸の木竹の伐採をしているとのことですが、金額からすると、とてもではないですが賄えないと感じました。業者の方もほぼボランティア状態のようでした。また、自動販売機の設置も、景観の観点からいるか岬自体には置けないなど、様々な苦労が伺えました。

ちなみに自販機の写真の左側に映っているサイクルラックは、日南海岸きらめきラインが国の実証実験などを活用して設置したそうです。当風景街道でも可能性はあるかと思いました。

いるか岬からさらに南下し、昼の目的地である「潮の杜」に到着しました。こちらで活動されている有限会社レジェンドの代表取締役社長、小椋祥司さんは、2日目の座学で話題提供をされ、移住者ながら地域の方々と協力し合い、地域の魅力を高めて目的地化を図っています。こちらでは草木染めとジェルキャンドルづくりといった体験、地元漁師の方が釣って作っていただいたメジナ汁や鳥の炭火焼を使った料理、地元農家の方が作ったポンカンを絞り器で自ら絞って作るポンカンジュースなどをいただきました。

小学校の廃校を使った場所ですが、木製の遊具が作られていたり、モンゴルのゲルのようなテントに、薪ストーブが置かれていたり、ピザ窯や焚火があったり、のんびりと自然の中で過ごすにはとても気持ちのよいところでした。

ここでサイクリングは終了のため、自転車たちは回収されていました。写真のようにトラックの荷台に載せれば、20台くらいは載るようでした。なお、今回のサイクリングの準備や案内はジャイアント福岡と西都市で活動されてる方がされていました。

あとはバスで移動でした。道の駅きたごうの裏手にある南いちご農園でいちご狩りをしました。こちらも大雨の影響で畝に水が溜まるなどの影響があったそうです。ここではいちご狩りのみでなく、加工品であるジャムの販売や、パフェなどの加工販売も行っており、道の駅にもコンテナカフェを出店するなど、精力的に取り組まれていました。6次産業化の一つだなと感じました。

道の駅きたごうで休憩・買い物して宮崎空港・宮崎駅へと向かいました。